内観する

 

私の習慣として、「内観する」ということがあります。

 

これは、自分との対話 ってかんじです。

日々の生活の中で、思い通りに行かないとか、嫌なこととか、検討することととかって、色々ありますよね。

1日の終わりの眠る時、お風呂の湯船に入っている時など、ひとりで静かに考えられる時に自分に問いかけます。

 

例えば、すごくやるのが嫌なことがあるとします。

私は昨年3月まで、夫の母の介護をしていました。

要介護認5 というレベルで、食事からおむつ替えまで、全てのことを介助する完全介護です。

 

会社の仕事をし、作家活動もし、家事も行いながら、約6年やっていました。

行動の全てが、義母の生活が中心となるので、仕事も思うように進められなかったり、自分の自由時間も作れなくなっていました。

これはなかなかストレスもたまり、中でも一番つらかったのは おむつ替えでした。

 

子育ての経験がありますから、おむつを替えるのなんて経験済みですが、

心のダメージ度は赤ちゃんのおむつを替えるのと、大人のそれとは全然異なります。

 

まして、自分の親では無く、特に親切にしてもらった、大事に扱ってもらった等のコミュニケーション経験も無かったので、義母への「思い入れ」も低い。

 

おむつを替えながら、その最中に排便や排尿をされることもしばしば。

正直、最初は泣きながらやっていて、手を洗っても洗っても便臭が取れないという感覚に囚われてしまっていました。

 

感情も爆発しそうになっていた時、はたと思いました。

 

ちょっと待て。

 

何が嫌なのか、どうしたいのか、自分に聞こう。

 

そうです。目の前の「やらなきゃいけない」と思い込んでいる問題に囚われすぎていて、

自分の習慣であったはずの「問題の問いかけ」をするのを忘れていました。

 

そこで、寝る時、寝床で横なり目を閉じ、自分に問いかけました。

 

私「介護するのが嫌なの?」

内側のわたし(以下 わたし)「嫌です」

私「なんで?」

わたし「仕事できないし、自分の自由時間も作れないし、おむつ替えるのとかもう嫌」

私「じゃあ、ヘルパーさんに来てもらう?」

わたし「他人を家に入れるのは嫌」

私「じゃあ、現状のままってことだから、自分でやるしかないよね」

わたし「やらなきゃいけないのは理解しているけど、嫌なの」

私「なぜ嫌なの?」

わたし「だから、仕事と時間とか、おむつ替えとか、なんかもう、全部やりたくない」

私「そうなんだ。ちょっとがんばりすぎたね。じゃあ、ひとつずつ考えてみようよ」

わたし「どんな風に?」

私「まずは仕事と時間。仕事はやらないといけないけど、今までと同じペースでは無理だってわかったわけだよね」

わたし「うん。無理」

私「よしよし、無理だと理解できてるね。では、1日の使い方を見直してみようよ」

 

とまぁ、こんな感じに自分と対話することで、今の自分の置かれている状況の確認と自分の気持ちを客観しするということを、やばい、つらいと感じたら行うようにしてきました。

 

ふと振り返って見ると、

 

「思考する」

「俯瞰(ふかん)で見る」

「自主行動する」

「答える事をまとめる(内観する)」

「相乗効果を楽しむ」

 

こういうことを、子供の頃からやっていて、自分の中で習慣化されてました。

私の中では、あまりに日常的な事になってしまっていたので、特別な事だとは感じた事が無かったんですが、

これって、仏教でいうところの「聞 思 修(もんししゅ)」的なことだったんだ。と。

 

この習慣のきっかけを作ったのは、紛れもなく父と祖母(母方)です。

 

子供の頃から、繰り返し言われ続けてきたのが

「考える事」

「その衝動の動機は何かを理解する事」

 

私は、祖母に育てられたので、確かに思い返せば、問答的な会話の訓練させられてたなぁと。

私の祖母は、熱心な仏教徒でした。

 

例えば、こんなことがありました。

バービー人形を買って欲しいとねだった事件

 

私「このお人形が欲しい」

祖母「ダメ、買わない」

私「なんでー」

祖母「なんで、これ買わないといかんのよ」

私「欲しいんだもん」

祖母「なんで欲しいの?」

私「欲しいから」

祖母「だから、なんで欲しいの?」

私「可愛いから」

祖母「可愛いってなに?」

私「お顔とか、お洋服が可愛い」

祖母「そんなんじゃ、買えん。欲しい理由にならん」

私「じゃあ、なんなら良いの?」

祖母「なんでこれが欲しいのか? これ、ゆかりちゃんに今、必要なもの?」

私「ひつようってなに?」

祖母「どうしても、今、そばに無いと困るもののこと」

私「いるよ。ひつよう」

祖母「じゃあ、何で必要なの? 理由を教えて」

 

 

とですね。

 

延々1時間近くおもちゃ屋の前で理由を言わされ続けるんですよ。w

 

当時は、虐められているのか、的な感じでした。

最終的には買ってもらえたんですが、こういうことを様々なシーンでさせられてたなぁと。

しかも、論理的な思考がまだ無理、脳が成長しきってない5歳児ぐらいからです。スパルタ式の思考術ですね。(苦笑)

 

お陰で、幼稚園では 理屈っぽい子供で、先生に

「ゆかりちゃん、難しい事言っちゃダメ」って言われたのを思い出しました。(爆)

 

さて。話が少しズレましたが、この「内観する」という習慣があったから、

山あり谷あり、かなりヘビーな問題も山ほどありましたが、なんとか乗り切って来れたのかなと思います。

 

あまりスピっぽい話にはしたくありませんが、「全ての答えは、すでに自分が知っている」と思っています。

 

具体的な答えや問題の解決方法が、その時にはすぐにわからなくても

なんとなく、自分の内側では、もやーんと存在しているのにはみなさん気づいているはずです。

 

このモヤモヤをなんとかしたい! っていう、アレです。

 

このモヤモヤを解決する、のが「内観する」です。

 

でも、そんなことひとりじゃできない!

 

ですよねー

 

私は祖母に鍛えられたから習慣化できたんだと思います。

 

なので、まずは、仲の良い友人とか、家族や兄弟とか信頼できる人とこういうやりとりの訓練をしてみると良いかと思います。

基本は一問一答です。これを繰り返します。

 

最初は色々話してしまうかもしれませんが、それはそれでもOKです。

話すことで、気持ちが落ち着くので、まずはそこから。

あ、そうそう、大事なこと書き忘れてました。

 

内観する時も、基本は 声に出して話すことです。

傍から見たら、変な独り言を言っているように見えるのですが、声にして、自分の耳で聞く これが大事です。

 

でも、内観する場所は、基本ひとりでいられる場所でやってくださいね。

人が多い場所やテレビやラジオなど、外部からの音が多いと、自分の内側に意識が向きにくいからです。

 

「内観する」 是非、みなさんも試してみて下さい。

 

また、この「内観する」を訓練するワークショップも 8月頃に開催する予定です。

 

開催予定は、7月頭に告知予定です。

 

それから、こうした「考える力」を養いたいという方は、アーユルヴェーダ講座にもご参加下さい。

 

私の所で講習しているアーユルヴェーダ講座は、「自分と人の心を知るための学び」を中心としたカリキュラムです。

7月スタートも募集中です。

・アーユルヴェーダ心理学 講習

https://peraichi.com/landing_pages/view/ayu-basic

 

よろしくお願いします。